そして、少しの後悔 - Ang Pagtaltal
"悪夢の航海"↓にも関連しているのですが、この旅で、ちょっと後悔していることがあります。それは、ギマラス島ヨルダン市で行われる宗教行事"Ang Pagtaltal"を見に行かなかったこと。
(Alubihod Beach, Guimaras Island)
直前に大あわてで旅先について調べていると、ホリー・ウィーク中の聖金曜日、"Good Friday"と呼ばれる日・・・キリストの処刑と死を記念する日に、ギマラス島のヨルダン市で"Ang Pagtaltal"というキリストの受難劇が行われることがわかりました。
下の記事にも書きましたが、国民の8割以上がカトリック教徒であるフィリピンでは、2千年前のこの日ローマ軍の手によって十字架刑にかけられ死を迎えたとされるキリストの1日を再現する行事が各地で行われ、またその苦しみを追体験しようとする人びとが後をたたない。とくに有名なのはルソン島のパンパンガ地方で行われるもので、ここでは自らを鞭打って血だらけになったり、実際に手足に釘を打ちつけ、十字架に磔にされたりする人がたくさんいるのです。
その光景は、テレビのニュースなどで見られますが、はっきり言ってわたしにとってその行為は「気持ち悪い」以外の何でもない。けれど、同時に「なぜそんなことをするのか」という好奇心と、そして彼らの"信じる心"に対する憧れと畏怖のようなものも感じます。それは、ブラック・ナザレの祭を見に行ったときの気持ちと似たようなもので、たてまえ上は仏教徒であるけれども、はっきりと"信仰心"と呼べるようなものを持たないわたしにとって、"なんでそんなん信じれるん"と少しうらやましくも思えるのです。
ギマラス島で行われる"Ang Pagtaltal"は、数少ないウェブ上の写真を見る限りでは、パンパンガのに比べると手足を十字架に打ちつけるのでなく結び付けていてかなりソフトな感じで、地元の人が参加して学芸会っぽいように見受けられたので、ちょっと見てみたいと思いました。(名前もタルタルソースみたいでかわいいし。)
ちょうど"Good Friday"にバコロド・シティからイロイロ・シティに渡ったので、ギマラス島にその日に行けないこともなかった。時間のやりくりがうまくいけば、嫌がる夫の尻をたたいて行ってやろうともくろんでいたのです。しかし、はからずも"悪夢の航海"でイヤというほど見せつけられた受難劇で正直言ってもうおなかいっぱい、というか、疲れ果てて、イロイロのホテルに着いたらしばらく動けなかったです。
でも今思うと、これから先、聖週間の"Good Friday"にフィリピンのギマラス島に行く機会などたぶんないだろう。とても貴重な機会を逃してしまったような、小さな後悔が胸に残っているのです。
ところで、「受難劇」って他の国でも行われているのかな?と検索してみたら、南ドイツの小さな村で10年に一度行われる受難劇が有名で、人びとが心待ちにしている。と出てきました。
えっ?10年に一度?心待ちにしてるなら、フィリピンに行けば毎年見られるのにね。
だけどなぜフィリピンでとくにこういうことが行われているのだろう。とても不思議です。
キリスト教(カトリック)は、300年以上に渡ってフィリピンを支配したスペインにより伝えられた。スペイン人による支配は苛烈であったと聞く。わたしには、"支配者によって力ずくで押し付けられた宗教"と思えてしまいます。だからこそ、この2年間、信仰に篤いフィリピンの人びとを間近でみていると、ますます「宗教とは何なんだろう」という謎が深まりました。
写真はギマラス島のビーチでボートをつなげてあるロープに頭をすりつけて遊ぶ少女。

直前に大あわてで旅先について調べていると、ホリー・ウィーク中の聖金曜日、"Good Friday"と呼ばれる日・・・キリストの処刑と死を記念する日に、ギマラス島のヨルダン市で"Ang Pagtaltal"というキリストの受難劇が行われることがわかりました。
下の記事にも書きましたが、国民の8割以上がカトリック教徒であるフィリピンでは、2千年前のこの日ローマ軍の手によって十字架刑にかけられ死を迎えたとされるキリストの1日を再現する行事が各地で行われ、またその苦しみを追体験しようとする人びとが後をたたない。とくに有名なのはルソン島のパンパンガ地方で行われるもので、ここでは自らを鞭打って血だらけになったり、実際に手足に釘を打ちつけ、十字架に磔にされたりする人がたくさんいるのです。
その光景は、テレビのニュースなどで見られますが、はっきり言ってわたしにとってその行為は「気持ち悪い」以外の何でもない。けれど、同時に「なぜそんなことをするのか」という好奇心と、そして彼らの"信じる心"に対する憧れと畏怖のようなものも感じます。それは、ブラック・ナザレの祭を見に行ったときの気持ちと似たようなもので、たてまえ上は仏教徒であるけれども、はっきりと"信仰心"と呼べるようなものを持たないわたしにとって、"なんでそんなん信じれるん"と少しうらやましくも思えるのです。
ギマラス島で行われる"Ang Pagtaltal"は、数少ないウェブ上の写真を見る限りでは、パンパンガのに比べると手足を十字架に打ちつけるのでなく結び付けていてかなりソフトな感じで、地元の人が参加して学芸会っぽいように見受けられたので、ちょっと見てみたいと思いました。(名前もタルタルソースみたいでかわいいし。)
ちょうど"Good Friday"にバコロド・シティからイロイロ・シティに渡ったので、ギマラス島にその日に行けないこともなかった。時間のやりくりがうまくいけば、嫌がる夫の尻をたたいて行ってやろうともくろんでいたのです。しかし、はからずも"悪夢の航海"でイヤというほど見せつけられた受難劇で正直言ってもうおなかいっぱい、というか、疲れ果てて、イロイロのホテルに着いたらしばらく動けなかったです。
でも今思うと、これから先、聖週間の"Good Friday"にフィリピンのギマラス島に行く機会などたぶんないだろう。とても貴重な機会を逃してしまったような、小さな後悔が胸に残っているのです。
ところで、「受難劇」って他の国でも行われているのかな?と検索してみたら、南ドイツの小さな村で10年に一度行われる受難劇が有名で、人びとが心待ちにしている。と出てきました。
えっ?10年に一度?心待ちにしてるなら、フィリピンに行けば毎年見られるのにね。
だけどなぜフィリピンでとくにこういうことが行われているのだろう。とても不思議です。
キリスト教(カトリック)は、300年以上に渡ってフィリピンを支配したスペインにより伝えられた。スペイン人による支配は苛烈であったと聞く。わたしには、"支配者によって力ずくで押し付けられた宗教"と思えてしまいます。だからこそ、この2年間、信仰に篤いフィリピンの人びとを間近でみていると、ますます「宗教とは何なんだろう」という謎が深まりました。
写真はギマラス島のビーチでボートをつなげてあるロープに頭をすりつけて遊ぶ少女。

